+Dolphin+
イルカの写真をあげると約束をしたけれど、忙しい間に時間は過ぎて約束は果たせなかった。
そしてずっと思い出しもしなかった。
ティムカがレイチェルの部屋を訪れた時、飾られた写真を見て声を上げた。
「イルカの写真ですね、これはどこかの水族館ですか?」
「はい。ワタシの家族全員がそろったときに、みんなで出かけたんですよ」
レイチェルの父は学者、彼女本人も各惑星の研究院を渡り歩いているため、家族全員が揃うことは滅多にない。
だから久々の家族団欒をそんな形に残したのだ。
「そうですか、イルカは僕の国にいっぱい住んでるんですよ。懐かしいなぁ」
日頃の落ち着きぶりはどこへやら、年齢相応に見えるほどティムカは全身で嬉しさを表現している。
「ティムカ様ってどこの出身なんですか?もしかしたら研究しに行ったことがあるかもしれないな」
「僕は亜熱帯惑星の出身です」
「ああ、それでイルカがいっぱい……」
「いつか、時間のあるときにでも遊びに来てくださいね、本当にすごい数ですよ。僕はしばらく故郷を離れていましたから、イルカの写真を見るのも久しぶりで、つい嬉しくなってしまいました」
「故郷を離れてた?」
レイチェルは深く追求するつもりはなかったが、その発言にふと耳を留めた。
「あ、いえ、主星で専門分野の勉強をしていただけです」
「その歳で留学してたんですか?」
「ええ、まあ」
あまり納得のいく答えではなかったが、頭のいいティムカだから英才教育でも受けていたのだろうとレイチェルは思った。
「あ、そうだ。イルカだけの写真もあったと思うから、見つけたら一枚差し上げますね」
「本当ですか、ありがとうございます!」
ぱっと輝いたその顔を見て、レイチェルは思わず笑ってしまう。
「……何を笑ってるんです、レイチェル?僕が何かしてしまったんでしょうか?」
きまりが悪そうなティムカを見ていると、さらに笑いそうになる。
「ご、ごめん。ティムカ様って何歳でしたっけ?」
「僕は13です」
「そっか、3つも年下なんだ」
大人びた仕草や、発言の内容、教官という立場があまりそれを意識させなかった。
だがそれ以来、レイチェルは少しティムカを意識するようになった。
***
「もしかしてレイチェルじゃありませんか?」
人違いなら失礼しましたとの声に覚えがあったが、レイチェルの知っている人は声変わりする前の少年だったはずだ。
少し考えてから振り返ると、自分より少し背の高い青年が立っている。
「…………ティムカ、様?」
「ああやっぱり、レイチェルですね!!」
笑った顔は数ヶ月前までずっと見ていた彼の、だがもっと大人びたものだった。
あっけにとられているレイチェルを、ちょっと面白そうに眺めている。
「え?ティムカ様、今お幾つですか?」
思わず尋ねてしまったが、すぐに思い出した。
聖地やレイチェル達のいる新宇宙では数ヶ月だが、外界では3年の月日が流れている。
「えっと、3年経ってるんだから、16歳。ワタシと同じなんだ」
「ええ、あなたと同じです」
「時間の流れの違いは知ってたし、セイラン様にも会ったりしたんだけど、ティムカ様には驚いたなあ」
しみじみとレイチェルが言ったのも無理はない。
セイランは身長が少し伸びた程度だったが、ティムカのそれは別人かと思うほどの変化ぶりだ。
「ずいぶん変わっちゃったね」
「そうですか?やはり3年も経ちましたし、立場も変わりましたから前と同じではないでしょう」
「亜熱帯惑星の国王陛下かあ。色々と大変みたいだけど」
16歳という若さに似合わない落ち着きと重みは、以前には見受けられなかったのに。
3年前の彼はと考えていると、レイチェルはイルカの写真のことを思い出した。
忘れていた約束、忘れていた会話。
「イルカに再会した感想はどう?」
ティムカはしばらく何の事かわからないように視線をさまよわせていたが、思い出したらしい。
「ああ……!試験終了後に惑星へ帰って、海で弟と遊びました」
「楽しめました?」
「懐かしかったですよ。主星では海まで遠かったので、本当にあなたの部屋で見た写真だけだったんです」
何の屈託もなく、明るい表情で話しているティムカを見て、レイチェルは罪悪感を覚えた。
ティムカはイルカも懐かしんでいたが、単にそれだけではなく故郷に繋がるものを恋しがっていたのかもしれない。
あの時すぐにでも探して、写真を渡していればよかった。
「ごめんなさい」
「レイチェル?どうかしたんですか?」
唐突に謝られ、ティムカは驚いている。
「写真のこと、ワタシはあの後忘れてたから。あげるって言ったのに」
「なんだ、そんなことですか。別に気にしなくていいですよ、あなたは試験で大変な時期だったでしょう」
「でもイルカ、好きだったんでしょう?」
「ちょっとホームシックだっただけですよ。今はいつでもイルカが見える部屋に住んでいますから」
その言葉にやっと、安心したようにレイチェルが笑った。
「写真の件はいいですから、もう一つ覚えていませんか?イルカを見に来て下さいって言いましたよね」
「そっか、すごい数のイルカがいるんだっけ」
「海の綺麗な、イルカの住む国です。いつかの補佐官の任務が終わったら、来てくれませんか?」
真剣なティムカの顔。
あまりに真剣すぎて、その言葉がプロポーズに聞こえなくもない。
「ええと、ティムカ様、それって何か深い意味があるって思ってもいいんですか」
「ずっとあなたが好きだったんです。 亜熱帯惑星の后になってくれませんか?」
ティムカの発言にレイチェルは呆気にとられる。
「ちょっとわかってるんですか、ティムカ様。ワタシは新宇宙の補佐官で、しかも時間の流れが違うんですよ!?」
「全部わかっていますよ。でも時間の流れが違うのは、僕にはありがたいことかもしれません」
時間の流れが違うのがありがたいなど普通は思わない。
あまりに意外な科白に驚いて、今度は黙って聞くしかなかった。
「女王試験のとき、僕はあなたより年下でした。イルカの写真で喜んだりして笑われたりしていた。今、僕はあなたと同い年です。今度会うときは、きっとあなたより年上でもっとしっかりしていると思います」
レイチェルの目線が上に向く。
少し前――彼にとっては三年前には、見上げる立場は逆だったのに。
そんなことを考えながら、レイチェルはティムカの表情を見ていた。
「普通、生まれた順番はどうにもならないけど、僕はあなたを越えることができる。それはとても幸運です。退任するまで待ちますから、少しは僕のこと、考えてみてくれませんか?」
「何年先かわからないよ。それでも待つの?」
「気は長い方ですから」
きっぱりと答えてくれるティムカにレイチェルは今日初めて、前のような顔で笑いかけた。
「じゃあ、待っててほしいな。今度は忘れたりしないから」
「お待ちしています」
微笑み返すティムカの顔が、あの写真を見ていた時のティムカと重なる。
3年たって大人になっていても、やっぱりティムカは変わっていない。
次に会う時のために、あのイルカの写真を探そうとレイチェルは思った。
トロワ発売っていつでしたっけ?発売前の画像を見て、ふと思いついたお話でした。
「僕のお嫁さん!」発言が可愛かったティムカが、今は守護聖さまですか……時代は変わるんですねぇ(遠い目)
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