+君の笑顔が好きなんだ+




 いつもより少し早いけれど、帰り支度を終えた静は会場の門をくぐった。
 今日は慰労会だったから水着の分だけ荷物が一つ多い。重さはないもののかさ張る。
 
「今日も暑かったなあ」

 荷物を抱え直しながら空を見上げれば嫌になるくらい晴れ上がっていて、あと数時間で日が沈むなんて思えないくらい爽やかな色をしている。 
 これなら学園祭本番の明日も天気は大丈夫だろうと、家に帰ったら天気予報をチェックしなければと思っていた静は安心した。

 最初は立海テニス部に誰も知り合いがいないから不安だったし、広い会場内を走り回って大変だったけれど、いつしか残りの日数を考えては溜息をついてしまうようになっていた。
 今は終わるのが寂しいと思うほど充実した毎日で、あっという間に過ぎる時間が物足りなく感じることさえある。

「広瀬」
「はい?――あ、柳先輩」

 ぼんやりしていると呼び止められた。振り向くと、立海大付属の三年・柳蓮二が立っている。
  
「先輩もお帰りですか」
「ああ。良かったら一緒に帰らないか?」
「はい、喜んで」

 もちろん静に異存はない。今までも何度かこうして一緒に帰ったことがある。
 学園祭やテニス部のメンバーの話、趣味の話。時には自分の行動を言い当てられて慌てることも、全てが楽しい道のりだ。
 ただこの何日かはそれも変わりつつあって、もうすぐ一緒に帰ることもなくなるんだなあと考えては寂しくなってしまう。
 二週間が早かったのはたぶんこの人のせいに違いない。

「お前は今日、何か用事はあるか?」

 静がそんなことを考えていると、柳が妙に躊躇いがちに寄り道を提案してきた。

「駅の反対側に公園があるだろう」
「はい。駅から三分くらいのところですよね」
「そうだ。この天気ならばいるだろうと思ってな。時間もちょうどいい頃合だ」
「え、何がですか?」

 柳の科白は半ば独り言のようだったので、静の頭には疑問符が飛ぶ。
 たとえば青学にいる柳の幼馴染ならそれでわかるとしても、静はそこまで柳と同じものを共有できてはいない。
 聞き返さなけれならない自分が悔しいと思ってしまうのはどうしてなんだろう。

「ブン太が言うには、あの公園に時々屋台が来るらしい」
「お祭でもあるんですか?」
「いや、祭ではない。ああ、だが不確定要素が大きいから、先に詳細を言って期待させては悪いだろう」
「? えっと……つまり内緒ってことですよね。それじゃ余計気になりますよ」
「すまないとは思うが、データが少なすぎて、今日屋台が来るかどうか俺も自信がなくてな」
 
 そう言って柳は困ったように微笑んだ。
 「屋台が来る確率○○%だ」と言い切らない姿は珍しい。

「先輩のそういう言葉、初めて聞いた気がします」

 そうか?と柳は腕組みをする。

「そうでもないぞ。近ごろは少し、データの精度が落ちている気がしてならない」
「それって大変じゃないですか。何かあったんですか?」
「いや、理由は……大方推測できているつもりだが」

 どうも歯切れが悪い。
 二週間足らずの付き合いしかない静でも、柳のデータの精度が落ちているなんて異常事態だということはわかる。
 近ごろ元気がないようだし悩み事のせいかなと思うけれど、「これだけは言えない」と言われているのだからとても聞けない。

「気にしないでくれ。確信までもう一歩のところまで来ている」

 静の考えていることを知ってか知らずか、柳は大丈夫だと言い切った。

 ***


 どこも今日から学校が始まったせいか、午後四時の公園は少し人が少ないように感じる。
 入り口からざっと見ただけでは屋台らしきものは見当たらない。

「屋台って夜店みたいなものですか?」
「ブン太の話では自転車で、小さな赤い旗がついているらしい」
「話を聞いていると、お祭のかき氷みたいですね」
「惜しいな」

 ちょうど芝生広場の前に来たところで、柳がすっと指を差した。

「アイスクリンだ」

 柳によれば、アイスクリンは高知県や沖縄県が有名らしい。そこでは道端などあちこちに屋台が出るそうだ。
 静もスーパーやコンビニでカップ入りのものを見かけたことはあっても、こうして実際に売っているところは初めて見た。
 この地域でもやはり屋台は珍しいらしく、加えて神出鬼没。あまり目撃情報もないので、さすがの柳も自信を持てなかったという。
 今日はそう蒸し暑くないとはいえ、冷たいものが恋しい季節にこれは嬉しい。

「食べたことはあるか?」
「小さい頃に食べたと思いますが、よく覚えてないです。アイスクリームとは違うんですよね」
「ああ。もっとあっさりしたシャーベット状で、味もミルクセーキに近いな」
「おいしそうですね。いただきます」

 一口食べてみると、柳の言うとおりさっぱりした甘さと、シャーベットのような食感が喉を滑り落ちて行く。

「おいしいです」

 静は思わず満面の笑みを浮かべる。
 今まで暑いときはソフトクリームと思っていたけれど、これは認識を改める必要があるかもしれない。ファンになりそうだ。

「そうか、それは良かった」

 大喜びする静の反応に安心したのか、柳も自分のアイスクリンに口をつけながら言った。

「今日の慰労会だが、残念だったな」
「え?」
「すっかり競技会になってしまったから、お前は泳げなかっただろう」

 柳の言う通り、慰労会が各学校対抗の競技会だったから静はプールサイドで応援に徹することになってしまった。
 水球や八艘飛びに参加したかったわけではないけれど、水に入れなかったのはやっぱり残念だ。
 そういえば前に、暑いときは海に行きたいと言った覚えがある。また、暑い日はソフトクリームを食べたがることを看破されていた。
 もしかしてこの唐突な寄り道はそのときのことを覚えていてくれたからだろうかと静は思い当たる。

 もしそうだとしたら、どうしよう。嬉しい。

「あの、先輩」
「なんだ?」
「今日はありがとうございます。私、海やプールに行くよりも嬉しいです」

 そうか、と柳は頷く。

「元気が出たようで何よりだ」
「はい、元気が出ました。だから私でお役に立てることがあったら何でも言って下さいね」

 柳が何かに悩んでいるように、静も学園祭が終わることを考えては沈みがちになっていた。
 だから励ましてくれたんだなと、柳に心配をかけてしまって申し訳なく思う。それから、心配してくれたことを嬉しいとも。

「ありがとう。だが、どうやら俺の悩みは解決したようだ」

 柳があまりにあっさりと言うから、静は最初聞き間違えたのかと思った。確かさっき、確信までもう一歩だと言っていたのに。
 展開の早さにちょっと驚いたものの、スランプ脱出が本当なら嬉しいなと静は思った。
 人が悩んでいるところを見るのは辛い。それが特に気になる人のことだとなおさらに。

「正確には解決への道筋が見えたというところだがな。確信が持てた」
「よくわからないですけど、良かったですね」
「ああ。お前と寄り道をしたおかげだ」

 柳はいつものように穏やかな微笑みを浮かべる。
 そのくせどこか頑なで謎めいていて、寄り道のおかげとは何かと静が聞いても「俺も冷たいものが食べたかったからな」と言うだけで教えてくれなかった。


 そんな今日の帰り道、最近ずっと感じていた寂しさは不思議と湧いてこなかった。




 学プリ阿弥陀様に投稿させていただきました。
 31日の段階でまだ悩んでいた柳さんなので、「この子が好きだなあ」と思うきっかけがこんなのだったらなと。
 まあなんだかんだ言いつつ、食べ物の話をしたときの柳さんに萌えたからできあがりました。


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