+たぶん始まり+




 皇帝とはよく言ったものだと思う。
 ただでさえ少々と言えば語弊があるかもしれない老け顔および強面、がっしりした長身は他を威圧するに十分な存在感を醸し出している。
 テニスが強いから皇帝と呼ばれるようになったはずだが、絶対にあの威圧感も皇帝と呼ばれる一因に違いない。
 おまけに話し方もどこか古風で断定口調、最初は近寄りがたい人ナンバーワンだった。
 
「……だった、のよね」

 思わず独り言がこぼれた。自分でも今言った通り、それは過去形だ。今はさほど近寄りがたいとは思わない。
 扱い方に慣れたと言ってしまえばそれまでだが、どうもなかなか面白い人のようなのだ。

 静はちらりと視線を動かした。
 薄暗く埃っぽい倉庫は壁が厚いらしく、あまり音が反響しない。少し離れたところにいる彼に声は届かなかったようだ。
 別に聴こえていたとしても意味を解さない言葉だから構わないけれど、聴こえていないにこしたことはない。

「おい、広瀬。あまり無理はするな。高いところのものならば俺が取る」

 音が反響しにくいとはいえ、重い脚立を引きずっていることに気づいてそう言ってくれるとはなかなかの紳士ぶりだ。
 静は素直に感心する。

「ありがとうございます。どうしても取れなかったらお願いします」
「……だから無理をするなと言うのに」
「いえ、そんなに高くありませんから」

 背伸びをしてあと僅か届かないというもどかしさだから、脚立なら一段で済む。危なくないし、無理もしていない。
 静はそう思っているけれど、真田は脚立を信用できないのか、自分の探し物を中断して静の方に歩いてきた。

「あの箱でいいのか」

 言いざまに小さな箱に手が伸びる。脚立いらずの長身は難なく箱を掴んだ。

「ありがとうございます」
「いいから脚立から降りろ。意外に安定感がないのだぞ」
「はい」

 箱が取れたからにはもう降りても良かったが、脚立に登っていると視界が高くなってちょっと面白い。
 降りるどころかさらに一段上に登った静を見て、真田は呆れたような声をかけた。
 
「登ってどうする」
「あ、すみません。背が高くなったみたいで面白いなと思いまして」
「広瀬……」
「真田先輩の視界ってこんなに高いんですね。ほら、私なんて脚立二段分でやっと先輩と同じくらいなんですよ」

 静は別に手招きしたつもりはなかったのだけれど、頭の位置を測ろうとして手を横に出したのを見て背比べを挑まれたと思ったのか、真田は一歩だけ静に近づいた。
 一瞬、何気なく触れた肩が、ほんの少しだけ静の方が高いと告げる。
 
「お前の方が高くなったようだな。確かに新鮮だ」

 ほんの少しだけ静を見上げるような格好になった真田は、微かに笑ったようだった。
 今のって笑ったのかなと静は内心で首を傾げるが、そんなことを面と向かって聞けるわけもなく。
 やがて真田が再び降りるように促した。

「もういいだろう。降りぬのならば無理にでも降ろすぞ」
「あ、降ります。今すぐ降りますから」

 普段冗談を言わない男のこういう発言は怖い。
 静は慌てて脚立から降りた。そうすればまた元通りの視界の高さで、なんだか切ない。

「俺は脚立を戻してくるから、お前はそれを持って先に会議室に戻っていてくれ」

 静が引きずっていた脚立を軽々と持ち上げて、真田は倉庫の奥へと消えてゆく。
 さすがテニス部、力持ちなんだなと思っていると、先ほど一瞬だけ触れた肩の感触を思い出してしまった。
 がっしりしていて厳格で威圧的な眼光を撒き散らしているくせに、意外に気配り屋さんな紳士だなんて、反則だ。
 どんどん近寄りがたい人ナンバーワンだった印象が遠ざかっていく。

「なんだかずるいですよ、真田先輩」

 何が「ずるい」のかは自分でもわからないけれど、そんな一言が自然と口をついて出た。




 学園祭で一番笑いと萌えをもらったのは真田さんでした。
 その後で原作を読んで、「フハハハハハ」な悪人面の彼に衝撃を受け……でもやっぱり笑いました。


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