+当然なる二択+




 日の曜日の王立研究院は人気がないので落ち着く。
 個人的な趣味として研究を続けているエルンストは、持ち込んだ端末を使って最新のデータに目を通していた。
 
 目を休ませようと端末から顔を上げたところでドアがノックされた。

「はい、どうぞ」
「遊びに来たよ、エルンスト」
「レイチェル」

 珍客のお出ましに驚いていると、戸口から「お邪魔していいかな?」と彼女は尋ねてくる。

「構いませんよ。コーヒーはいかがですか」
「ありがと。いただきます」
「今日はどうしたんです?日の曜日なのにこんなところへ」
「なんとなく足が向いちゃって。そうしたらここにエルンストがいるって聞いたから」

 椅子に座ると、レイチェルは部屋を見回して笑う。

「いつの間にかエルンスト専用部屋なんてできたんだね」
「空き部屋を提供されました。頻繁に来ては長居するものですから、気を遣わせてしまったようですね」
「あはは、一線を引かれたみたいで寂しいでしょ、鋼の守護聖サマ」
「それはあなたも同じでしょう、女王補佐官殿」

 お互いに元は研究員。ほんの少し前までは一介の研究者として研究院に詰めていた。
 それが少し立場がかわっただけで、同じ学問を追究する者同士の交流が上手くいかないのはつまらない。
 彼女も多少なりとそういったものを感じているのではとエルンストは思ったのだが、言われた当人は首をかしげている。
 肯定も否定もせずにマグカップを眺めていたかと思えば、こんなことを言い出した。

「エルンストは王立研究院が好き?」

 唐突な言葉に眉をひそめてしまったが、レイチェルは気にする様子もない。

「二択ですか」
「うん、好きか嫌いか」

 彼女は質問を取り下げなかったので、仕方なく真面目に考えてみる。
 王立研究院にあるものは、何かが生まれ続ける活気、惑星を見守り包む静けさ、滅び行くものへの焦燥、そして時にもどかしさと停滞感。
 それらが好きか嫌いかと聞かれたならば、エルンストの行き着く答えはやはり好きというものだった。

「そっか。エルンストはそう言うと思ったよ」

 レイチェルの呟きは憎まれ口の類ではなかった。
 それがあまりに彼女らしくなかったので、何か悩みでも?と聞こうとしたけれど、矢継ぎ早に質問が来る。

「じゃあ宇宙は」
「もちろん」
「宇宙生成学」
「時々嫌いになります」

 何のアンケートだろうと思いながらエルンストが答えていると、レイチェルはその答えを反芻した。

「時々キライ?」
「ええ。行き詰まった時には投げ出したくもなりますからね。好きだけでは成り立ちません」
「エルンストもそうなんだ」

 先ほどより熱の入った口ぶりは、彼女の本題がそれだと示しているかのようだ。
 何かが彼女の琴線に触れたらしいが、悩みの理由はそこにあるのだろうか。

「あなたの悩みはそれなのですか?」
「やっぱりお見通しなんだね。エルンストには敵わないなあ」

 レイチェルは空になったマグカップを手でもてあそびながら答える。

「悩みっていうのかわからないんだけど」
「ええ」
「ワタシも時々ね、本当に宇宙が好きなのかなって考えるんだ」

 エルンストもその感情には覚えがあった。
 あまりにも幼い頃から関わっていたために、それが自然でありすぎたために、ふと見失ってしまったのだ。
 自分の意思でここにいるのか、本当に自分は好きでここにいるのかと。

「研究者一家に生まれたあなたは、絵本代わりに惑星図鑑を読んで育ったタイプでしょう」
「ご名答。エルンストも?」
「ええ。私も子供の頃から研究院に出入りしていましたが、ある日突然、それが正しいのかわからなくなりました」

 才能ゆえに前途を嘱望され、周囲から環境をただ与えられていただけの頃とは違う。
 大人になった今、自分を取り囲むものの中から自分だけの意思で選び直さなければならない時期が来る。

「あなたもそういう時期なのでしょう。急ぐ必要はないのですから、ゆっくり悩んで下さい。何事も経験です」

 休日なのになんとなく足が向く程度には、王立研究院も宇宙も好きなのだろうけれど。
 彼女にしては微笑ましい悩みなので、もう少し黙って見ているほうが面白そうだ。

 笑みが顔に出ていたのだろうか。面白がってるでしょと言われたが、エルンストは聞こえないふりをした。
 割られないうちにレイチェルの手からマグカップを取り上げる。

「お代わりはいかがですか」
「あ、もういいよ。ご馳走サマ。話し聞いてもらってすっきりしたし、今日はもう帰るね」
「そうですか。では気をつけて」
「うん」

 ドアノブに手を掛けたところで「あ、そうだ」とレイチェルが振り返る。

「最後に二択問題」
「なんですか」
「天才は?」
「…………は?」
 
 思わず絶句した。
 天才少女がそれを聞くのか。好きか嫌いかと。どういう意図があって。
 
 完全に固まったエルンストをそのままにして、レイチェルはドアを開けて出て行く。 

「また来るから」

 閉まりかけるドアから滑り込んだ声が、しばらく部屋を満たして散った。
 静寂の戻った部屋でエルンストは一人、ようやく動き出した鈍い頭で考える。

 凡人の努力が及ばない天与の才――天才は正直に言って悔しい。妬ましいとも思う。
 けれどもそれを持っている少女は決して嫌いではなかった。自分でも不思議なことに。驚くほどに。

「……好き、ですよ。我ながら不本意ですけれど」

 苦笑した視線は、テーブルに二つ並んだマグカップを捉えていた。





 子供の頃から親しんでいると、大人になってから「本当に好きなのかな?」と悩むんじゃないかと思うんです。
 天才でも秀才でもそうだったら嬉しいなと。理想入っててすみません。


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