叢雨(むらさめ) (譲×望美)


 この時代、にわか雨や通り雨のことを「村雨」と呼んだらしい。
 秋の吉野でその急な雨をやり過ごしていると、望美が譲の袖を引いた。

「ねえ譲くん。村雨の露もまだひぬまきの葉に……って歌、あったよね」
「百人一首ですね。先輩が和歌を言い出すなんて珍しいな」
「うん、一年のお正月に古文のテストと百人一首大会があったからね。譲くんもちょうど学校で覚えさせられてたんじゃない?」
「ええ、うちのクラスは優勝目指して燃えていましたよ。
 一番から二十番は誰が取る、二十一番から四十番は誰がとか、百首を二十首ごとに振り分けて札を狙う作戦です。
 まあ、そう計算どおりにいかないと思いますが」
「でもクラスの作戦なら譲くんも担当の二十首を覚えなきゃいけないんだね。もう覚えた?」
「うろ覚えのものもありますが、大体は。村雨の――は俺の担当じゃありませんけどね」

 そこでふと、譲が何かに気付いたように首筋に手をやる。

「そういえばこの時代、百人一首ってもうできてるんでしょうか?」

 そんなことを聞かれても歴史に疎い望美はさあ、とさらに首を傾げるしかない。
 何が気になるのか、譲は「確か鎌倉時代だったような」と一生懸命思い出そうとしている。

「――だとすると。先輩、さっきの歌、まだこの世界では詠まれてすらいないかもしれませんよ」
「へえ……なんだか不思議だね。この時代の和歌なのに、私たちしか知らないなんて」
「著作権なんてこの時代には関係ないでしょうけど、あまり下手に口にしない方がいいかもしれませんね」

 言葉もオーパーツになるのだろうかと譲は真剣に考え出す。
 でもこちらの世界は自分たちの知っている世界とは違うし、そこにいる兄はまったく気にせず「ラッキー」なんて言葉をこの三年の間、ずっと使っていたのだろう。
 そういう自分も蜂蜜プリンを作ったりしているし、今まで言葉遣いなんて全然気にしていなかった。だからたぶん大丈夫、なはず。
 でも一旦気になると止まらない。

「……すみません、せっかく先輩がぴったりの歌を思い出したのに」
「ううん、譲くんが心配するのもわかるから。もし歴史が変わってこっちの世界の百人一首が違ったら嫌だし」
「そうですね。俺も何か思い出しても喋らないようにします」
「じゃあ、二人きりのときならOKってことにしない?誰にも聞かれなければ大丈夫じゃないかな」

 みんなには内緒だからね。
 小声でそう囁かれた譲は一瞬ぽかんとした。そして「賛成です」とやや早口で答えたのだった。



  譲は百首ほとんど覚えてそうだというイメージ。
  歴史苦手な望美ですが、たまには和風な心得があってもいいじゃない。




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