願い (弁慶×望美)


「弁慶さん」

 端の卓子を独り占めし、のんびり庭園を眺めているところを呼びかけられた。

「おや望美さんにあかねさん。あちらは賑やかですがいいんですか?」
「はい。実は弁慶さんに聞きたいことがあって」

 その時点で二人の聞きたいことは半ば予測がついた。弁慶はどうぞと向かいの椅子を指し示す。

「弁慶さんは昔、龍神の神子について調べたことがあるって言ってましたよね」
「ええ、本当に昔の話ですが。――知りたいのはあかねさんのことでしょう?実は花梨さんや八葉の皆さんからも前に聞かれたんですよ。『私は京を守れたんですか、勝てたんですか』と」
「あ、やっぱりみんな考えることは同じなんですね」
「未来の人なら知ってるかも、って期待しちゃうもんね。仕方ないよ」

 二人の神子はばつが悪そうに照れ笑いをしている。

「残念ながら僕も大したことは知りません。ですが、百年後に花梨さん達がいて、二百年後には僕たちがいる。残念ながら争いはなくなっていませんが、京も人の世も確かに続いています。それだけであなた方の戦いの答えは出ていると、僕はそう思いますよ」

 そんな気休め程度の答えだが、それであかねも望美も納得したようだった。
 あかねは弁慶に礼を言って席を立つ。

 以前に聞きに来た花梨も「それもそうですね、京も星の一族もみんな続いてるんだから大丈夫だったってことなんだ」とすっきりした様子で帰って行った。
 それと重なる姿。
 いつの時代も少女は強いのだと思い知らされる。己の信じたもの、信頼する者を諦めない。
 一体何を糧に、ああも見据えた未来を目指し、ひたむきに進めるものなのか。自分の世界に帰るためだけではない何かを抱いているように見える。
 この世界に根ざす自分たちとは違い、異世界でしかない世界のためなどに。


「――――望美さんは他の皆さんと別れを惜しまなくていいんですか?もう宴もお開きのようですが」
「一通り挨拶はしましたし、それに……」
「それに?」
「ずっとあかねと閉じこめられていたから、他の人たちは誰が誰だかわからなくて」
「なるほど」

 それも道理だ。しかもどことなく八葉はそれぞれ似通った雰囲気を持っているのだから、一息に覚えろと言われても混乱するばかりだろう。

「では少し僕の話、いえ、お願いを聞いてくれませんか」
「お願い?」
「ええ、これは明日目覚めれば消えてしまう夢。それならば多少の我儘は許されるでしょうから」

 言いながら身を乗り出し、怪訝な顔になった望美の耳に囁いた。
 
「あまり僕を信じないで下さい。僕は必要とあればどんなことでもできる人間です。いつか君や九郎を裏切るかもしれません」
「べ――――」

 望美が息を呑む音がした。それが合図のように、ゆっくりと身を起こす。

「一度言ったはずです。僕は源氏を裏切るつもりでいると。それなのに君が僕を信じたままでいるから、僕もさすがに呵責を覚えてしまう。
 身勝手ながらいい加減辛くなってきました」
「弁慶さん……それは本当なんですか?嘘じゃないんですよね?」
「残念ながら本当です。君が信じるから僕が苦しくて、ですからこうして卑怯なお願いをしているんじゃありませんか」

 夢の中だからどんな勝手なことでも、後腐れなく心のままに言える。
 この会話もどうせ明日が来れば醒めて消えて、どこにも残らない一時だから。
 
「どうか僕を信じないで下さい。夢だからこそ言える、僕の真実です」


 
 

 浮橋を渡る途中で望美は足を止めた。
 橋のたもとにいる弁慶に一瞬投げた眼差しはまだ動揺を含んでいる。それをまっすぐ受けて弁慶は微笑んだ。

「嘘ではありませんよ、望美さん」

 呟きながら自身も浮橋を渡る。
 夜が明ける。その先、平家と争う日々に何が待っているのだろう。
 
 朧になる望美の背中を見つめ、弁慶はほっと息を吐いた。

 

 嘘ではない。言葉の底にある心だけは、嘘ではない。

 いつか自分が裏切る未来が訪れるかもしれない。
 それがどんな状況で起こるのかわからないけれど、その時にこの夢の名残がどこかにあればと思う。
 少女は自分が信じたものを諦めないから。
 ”その時”に自分を諦めず、危険に飛び込んだりしないように。「あの夢は本当だったんだ」と、起こった裏切りを信じて、自分を切り捨ててほしい。

 消えてしまう夢の中で吐く言葉が嘘だなんて、きっと誰も思わないだろう。
 天界の主宰者がどう言おうと、この夢がすべて消える保証などない。ならばそれも利用すればいいだけのこと。

 ”夢の中だからこそ言える胸の内”を、どうか信じて。

「僕は夢の中までも、君に嘘をつかずにいられないようですね」


 ここまで考えたかどうか、弁慶の意識は暁に溶けた。



  こういう話は説明すると余計ややこしい。
  神様が「この夢の記憶は残らないから!大丈夫!」と言ったって信用できない、夢の中でも本音を言えない弁慶さんが書きたかった。 



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