+刹那の笑みに寄り添って+




「泰衡殿、いらっしゃいますか」

 静かな雨が降る中、側近を振り切る女の声が聞こえてくる。その声に集中力が途切れ、泰衡は不快げに髪を掻きあげた。
 人の気配に湿った空気が動く。

「黒龍の神子殿……。これは珍しいお客人だ」

 部屋に乗り込んできた客人を一瞥して泰衡は呟いた。

「朔とお呼び下さって結構です。”神子殿”なんて呼ばれ慣れていないものですから」

 泰衡の呼びかけをどう受け取ったのか、客人の口調は丁寧ながらも素っ気無い。

「神子とは白龍の神子殿ただ一人、か。それでは朔殿、私に何用があって参られた」

 見ての通りそう暇を持て余しているわけではないのだがと、泰衡は机上を示す。
 書きかけの書状を投げ出してある。何かの途中で邪魔をしてしまったことだけは容易に伝わるはずだ。
 それを見て朔は怯んだように口をつぐんだが、すぐに泰衡に向き直る。

「――それではお伺いします。なぜ望美の文に返事を下さらないのですか」

 素っ気無いを通り越してつんつんと尖っていたのはそれが理由らしい。
 泰衡からすれば、何だそんなことかと思うような。
 そして意外でもあった。白龍の神子と比べると落ち着いた印象のあるこの客人が取り乱す内容が、これだったとは。

「……確かに文を返してはいないな。銀に花を託けはしたが」
「あの子は銀殿のお心遣いだと思っています。あなたからお返事はいただけなかったものと」
「それは神子殿の勝手な勘違いだろう。こちらはわざわざ糺す必要もないと思うのだが」

 気のない様子の泰衡に朔が眉を顰める。

「あなたは勘違いされたまま、望美に帰られてしまっても構わないのですか」
「ああ。一向に」

 強がりなどではない、正直なところ、我が身の契約を思えば清浄な存在に近づきたくないというのが泰衡の本音だった。
 白龍の神子だからというだけでは表し切れない何かを抱いた少女だ。いつ何を知られてしまうのか。
 そこまで考えて気付く。
 そういえばこの女人もまた龍神の神子。それも黒龍は負の存在。この嘆きを見透かされてしまうのだろうか?

「……あなたの方が問題だろうか」
「え?」
「いや、なんでもない。それより用が済んだならお引取り願おう。雨が上がれば外に出ることになっているのでな」

 泰衡が多忙な事は承知しているのだろう、朔は居心地が悪くなったのか、若干言葉に力がなくなった。

「泰衡殿がお忙しいのは存じています。でも明日は望美が帰る日です。ほんの少しで構いませんから顔を見せていただけませんか」
「神子殿がそれを望むとは思えないがな。俺もそこまで神子殿に親しみを感じているわけではない。もちろん感謝はしているが」
「見送るに値しない感謝ですか」

 けれどもまだまだ引く様子を見せない。
 芯の強そうな人だと思ったが、これはなかなか強硬だ。
 「気が向けば伺う」とその場しのぎの事を口にすれば、すぐに「気が向かなくても来てください!」と怒られる。
 不快ではないが、不可解だ。

「なぜ、あなたはそこまで拘る。私などに見送られても神子殿は喜ばぬだろう」
「心残りのある別れは嫌なんです。あの子のためだけじゃなくて、あなたも。誰にもそんな別れ方をしてほしくない」

 自分がそういった別れをしたと告げるような言葉。
 何よりその声音の悲痛さに泰衡も思わず目を見張る。その様子を見て「しまった」というように朔は口を閉じた。

「……ただ、それだけなんです」

 一瞬の激昂と沈黙が気まずかったのか、彼女はそう付け足す。
 けれど、これまでおざなりに朔の相手をしていた泰衡だったが、初めて本気でこの客人と相対する気になった。

「どうやらあなたはそういった別れを経験したようだな。だから嘆きを聞くことができるのか?」
「嘆き?」
「違うのか。黒龍の神子は声なき声を聞くのだと聞いたが」
「確かにそうです。でも、私の別れとは……関係、ありません」

 マカーハーラとの約束が果たされた今、どの程度自分に時間が残されているかはわからない。今日かもしれない。明日かもしれない。
 こんな嘘のように穏やかな時間に埋もれていると、不意にそのことを思い出して心が冷える。
 そこに飛び込んできた存在の痛みに共感しているのだろうか。
 自分でもわからないまま、泰衡は朔が言葉を紡ぐのを待った。

「あなたは私の知っている人に似ていたから」
「………………………………」
「……ごめんなさい、帰ります」
「朔殿」

 咄嗟にその手を掴んでいた。

「……っ、な、なにか」

 驚きのためか、朔は眼を丸くして立ちすくんでいる。
 驚いていたのは泰衡も同じだった。

「――客人を怒らせたまま帰すわけにもいくまい」

 いい訳がましく口が動いていた。それもなぜか、笑みを佩きながら。

「雨が落ち着くまで休んで行かれるといい。もてなしくらいはさせていただこう」

 引き止めたのはこの女性に興味を覚えたからだった。
 白龍の神子と同じようにまっすぐな視線、自分の考えを臆せず述べるところ。けれど不意に見せる痛みは彼女だけにしかなかった。
 怨霊の嘆きを聞く黒龍の神子。
 もう少し側にいれば、この深淵を僅かなりと垣間見ることは出来るだろうか。
 見たいと思った。自分と同じく、何かを諦めたような凍結の闇を。




 朔のイベントで「あの人は〜」と黒龍の魅力(?)を聞いて、それって泰衡っぽいなとマイナースイッチが入りました。
 まあ望美が帰る前日だから翌日にはあれなんですけどね(コラ)


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