+天啓+




 堅苦しい三成には珍しく、自室でごろりと転がってぼんやりとしていた。
 天井の木目を目で追いながら考えるのは先の戦でのこと。

「近江の雄・浅井が健在であれば、私はあなたにお仕えしていたでしょう」

 どこからともなく聞こえてきた己の声に驚いて、三成は思わず跳ね起きる。
 ちょうどそのことを考えていたから無意識に口にしていたのかと思ったが、違った。
 起き上がった先には部屋を覗き込むねねがいる。 

「おねね様……!私の声色を真似るのはおやめください」

 居住まいを正しながら抗議する三成に、ねねは軽い足取りで近寄った。

「つまんない子だね。元気がないって聞いたから励ましに来たのに」
「はっきり言って不気味ですよ」
「こら三成」

 三成はむすっとしたままだ。
 ねねは苦笑しながらそんな三成を小突いた。

「いいじゃない。三成の記念すべき一歩なんだから」
「おっしゃってることが意味不明です。だいたいなんのおつもりですか」
 
 人の口真似をするなど趣味が悪い。
 しかもその内容は思わず口走ってしまった類の、言うなれば三成にとって「失言」だからなおさらだ。
 なぜあの時、あんな事を言ってしまったのか自分でもわからないのに、余人の口から聞かされるほどの羞恥はない。
 ましてやその事が原因で考え込んでいるのだと、どうやらこの母代に看破されているらしきことも、もう諸々が不覚としか言いようがなく。

「みーつーなーりー」
 
 そっぽを向いてしまった三成の頬を両手で挟んで、ねねは自分の方を向かせる。

「なっ――」
「人と話す時は相手の目をちゃんと見る!」

 思わず手を添えられた頬が熱くなる。
 これよりもっと距離は近かったけれど、小さかった頃に、「熱があるね」と額をこつんとされた時の事を思いだす。
 そろそろ子供に言い聞かせるような事をしないでほしい。恥ずかしいし何より、もう子供でないから困ってしまうのだ。
   
「織田家に義理立てするなんて感傷だ、って散々お市様たちを皮肉った物言いしてたくせに。三成も十分感傷的だよ」

 気まずげな三成にお構いなしでねねは懇々と説く。その中で”感傷”という言葉が胸に落ちた。

「感傷?私が?」
「そう。浅井家が滅んでなかったら、なんてのは感傷の一つなんだから」

 ねねの理屈はわかるようでわからない。自分はいつもこうだと三成は思う。
 人の心というか、感情の機微に疎いのだ。理ですっきり割り切れないもの、端的に言い表せないものはよくわからない。
 それは他人だけでなく自分自身のことでもそうだ。
 賤ヶ岳でなぜお市にあんな言葉を投げかけたのか、今のこの気持ちをどう表せばいいのか、そんな簡単なことでさえ。
 あのもどかしさや遣る瀬無さを感傷というのならばそうなのだろうか。

「ね、三成。感傷って悪いことばかりじゃないんだよ。自分が何を大事に思っているかがわかるからね」
「大事に思うもの?」
「そう。大事に思うから見過ごせないんでしょう。笑い飛ばせなかったんでしょう」
「おっしゃる意味が……」

 お市と勝家を時代遅れだと笑おうとしたくせに、笑い切れなかった理由。
 何が引っかかったというのか。あの二人に、自分の中にある何を重ねてしまったのか。

「それとも三成は、もしうちが滅んだとしたら、さっさと相手に鞍替えしちゃうの?」
「おねね様!?」

 心外な言い様に三成は思わず声を荒げてしまったが、その様子にねねは満足したように微笑んだ。
 そんなねねと対照的に、その目に映る自分がとても頼りない表情をしていることに三成は気付く。
 何かを恐れるかのような顔。
 自分は一体、何を恐れて?
 
「三成はそれを心配してくれたんだね。この先、うちの家が滅んでしまったらどうしよう、って」

 この人に言われると、そんな事を考えたような気がしてくるから不思議だ。
 でもそうだったのかもしれない。
 ねねの言葉をゆっくり噛み締めると、それは頭の中で像を結んだ。
 この先天下を取ったとしても、何かがあって崩れてしまったら?滅ぶようなことがあったら?

 あの二人の目。勝家もお市も時流を確かに知っていた。知りながら必死で抗っていた。
 もしここでこの二人を笑ったなら、もしもの折、自分は豊臣家をあっさり見捨てて新しい時流に身を任せなければならない。
 それが自分の言う、理を受け入れることであるのだから。
 
「俺は、おねね様」

 そんなことはできやしない。
 だから最後の最後で「世が世なら」とありもしない夢を語りかけてしまったのだろうか。

 力なく目を伏せた三成を気遣わしげにねねは覗き込もうとする。
 
「――いい加減、離して下さい」
「三成?」

 わけもわからず苛立つ。何故こんなにこの人の言葉に納得してしまうのだろう。
 豊臣の天下が揺らがぬよう固めるのが自分の役目であり、そんなことを露ほども考えてはいけないのに。

「俺は感傷になど浸りません。そんな事をしている暇があったら、戦後処理に力を尽くす方が有益でしょう」

 そう言って席を立ったのに、その日、渦巻いた不安にいつまでも胸苦しかった。
 
 もしかするとこの日、彼女の言葉に縛られたのかもしれなかった。
 時流に抗ってでも守らなければならないものがあるのだと。




 三→ねねで、ねねに「三成はやさしい子だね」って言わせたかったのに妙に理屈っぽく……。
 賤ヶ岳の戦いのステージ前とステージ中の三成のセリフが矛盾してませんか?という話です。



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