+約束された場所+




 女王補佐官に就任して一ヶ月ほど、ようやく諸事が落ち着き、今日は久しぶりにもらえたお休み。
 慣れない聖地の探検……ではなく散策をすると決めていたアンジェリークはそっと部屋を抜け出した。


 私邸の裏口から森の小道に抜け、さらに奇心から細い脇道に踏み込んでみた。
 少し薄暗い繁みを抜けると、急に視界が開けて、思わずアンジェリークは目を瞬かせる。
 ここがどこかなんて、手元の地図を見るまでもない。おそらく森の――恋人たちの湖、だ。

 飛空都市の湖でいつも、聖地にもそう呼ばれる場所があると聞かされていた。
 そこには滝の前で祈ると好きな人に会えるという伝説があるとも。
 これがその滝なのだろう。少し離れた場所でアンジェリークは足を止めて見上げた。

 今、もし祈っても誰も来ないだろう。むしろ来て欲しくない。どんな顔をして会えばいいかわからない。

「……オスカー様」

 無意識に言葉にしていた。何度も飛空都市の湖で一緒に過ごした人だ。
 とりとめのないおしゃべりをしたり、心地よい風に吹かれてのんびりしたり、今が嘘のように楽しい時間。
 今は、仕事で毎日顔を合せているものの、私的な会話は女王試験が終わって以降、一度もない。
 
 アンジェリークは溜息をついた。
 真剣に女王試験を受けていただけに、終わった後の虚脱感や残念な気持ちは、どうしたって湧いてくる。
 けれども理由はあと一つ。どこかでこの結果を喜んでいる自分にアンジェリークは気付いていた。
 
「あなたの傍にいられるから、嬉しいと思ったんです」

 でもそれはすぐに、自分を応援してくれていたオスカーへの後ろめたさへと形を変えた。
 そして次に形を変えたのは”恐れ”。
 女王の騎士である彼に、そんな邪な気持ちで補佐官になったと知られたら、軽蔑されるかもしれないとの。

 軽蔑されるくらいなら単なる同僚でいい。女王補佐官として一緒にいられるだけでいい。
 たとえ女王と同じだけの敬愛は得られずとも、同じ時間を共有できる。そう思ってオスカーを避け始めたのだった。

「ごめんなさい」
 
 自然と滝に向かって手を合せてしまった。
 これからはロザリアのためにも頑張るから、心を入れ替えて立派な補佐官になりますから。
 そう誓うと少し気分が軽くなった気がする。アンジェリークは大きく深呼吸をして湖の方を振り返った。


 森の湖は他に人もいない。風が繁みや木立を揺らす音と、滝の水音に耳を済ませていると、少し遠くから馬のいななきが聞こえた。
 のどかな風景にはよく合うなあなんて思っていたら、アンジェリークが通ってきた道は違うところから、誰かがやってくるようだった。
 やってくるのがカップルだったら、デートの邪魔になってしまう。
 慌ててアンジェリークが立ち上がるのと、馬の手綱を引いた炎の守護聖が姿を現わしたのは同時だった。

「オスカー、……」
「よう、女王補佐官殿。奇遇だな」

 様、と言いそうになって口を噤んだのか、びっくりして言葉が続かなかっただけなのか。
 愛馬を連れたオスカーが歩いてくる。本音を言えば逃げ出したい。どんな顔をすればいいのだろう。

「そんなに慌ててどうしたんだ?――もしかして女王補佐官殿は、誰かと待ち合わせだったのかな」
「待ち合わせ?いえ、違います!」

 からかうような口調だが、アイスブルーの瞳は笑っていない。
 他の誰かとデートなんてするはずない。でも女王試験が終わってからのアンジェリークの行動は、オスカーからすれば、何か誤解されても仕方がないのだろう。
 何かの約束をしたわけでも、言葉で伝えたわけでもないけれど、明らかに好意を寄せられていた人間から、ある日突然避けられたのだから。
 心変わりを疑われたとしても、アンジェリークには返す言葉がない。とっさに否定するのが精一杯だ。

 下を向くアンジェリークに、「つまらない冗談を言ったな」とオスカーが溜息をつく。
 そして少しの沈黙の後、

「そろそろ落ち着いたか、お嬢ちゃん」
「え――?」

 アンジェリークがはっと顔を上げると、何もかも見透かしたようなオスカーの視線とぶつかった。

「女王試験が終わってからずっと元気がないだろう。おまけに俺を避けているようだしな」
「そんなこと――」
「ないとは言わせないぜ。いや、何も怒っているわけじゃない。俺はお嬢ちゃんに約束をもらいたいだけなんだ」
「約束、ですか?」
「ああ」

 オスカーの口調からは全く怒気が感じられない。
 もっと厳しい批難や追及を覚悟していたアンジェリークは思わず聞き返した。

「今すぐじゃなくて構わない。いつか、俺とここに来てくれないか」
「オスカー、さま。それは……」
「ずっと、君を連れてきたいと思っていた」

 この恋人達の湖に、私を、一緒に?
 言われている意味がわからなかった。いや違う。変な期待をしたくないと身構えてしまう。 

「君は女王の座を目指していたから言わなかった。だがもう、そんな必要はないだろう?君の気持ちが変わっていなければ嬉しいんだがな」
「まさか!心変わりなんて、そんなこと、あるわけ……」

 口から勢いよく飛び出た本音に、自分でも驚いて言葉が詰まる。
 だんだん言葉が小さくなっていくアンジェリークをオスカーは面白そうに見ていた。
 心変わりをしていないだろうなと、言葉では不安げな事を言っておいて、その態度は自信に溢れたいつものもの。
 アンジェリークの気持ちが、自分から少しも離れていないとわかっているのだろう。

 ふ、とアンジェリークの口元がほころんだ。
 オスカーは待っていてくれるのだ。アンジェリークが女王補佐官として落ち着くまで。心の整理をつけるまで。
  
 試験中も、試験が終わってからもずっと、こうして見守られていたことにどうして気付かなかったんだろう。
 相手の気持ちを考える事を忘れて、自分のことばかり考えていた。
 嫌われたくない、軽蔑されたくないとそればかりで、一人で勝手に悪い想像をめぐらせて、距離を置いた。
 最低だ。誰よりもこの人に謝らなければいけなかったのに。
  
「……ずっと、待っていて、下さったんですか?」
「そうだ、と言いたいところだが、そういうわけでもない」
「違うんですか?」

 自信に溢れた様子が、少し緩む。困ったように見える。

「君に嫌われてしまったのかと考えたこともある。――と言ったら笑うか?」
「そんな、笑うはずありません」

 と言って、でもすぐにアンジェリークは首を振った。

「いえ、でもやっぱり笑うかもしれません。嬉しいですから」

 嬉しい。私があなたを揺らすこともあるのだと知って。
 女王試験の時は、いつもはぐらかすような態度や子供扱いで、自分ばかり振り回されていると思っていた。
 でも、こんなにも応えてくれていた。

「ごめんなさい、オスカーさま。それから――ありがとうございます」

 たくさんの意味がつまった、ごめんなさいとありがとう。
 いつか二人でこの湖に来たなら、そのときには思ったこと、考えたことを全部伝えようと思う。
 アンジェリークを丸ごと包むような、優しさをくれるこの人に。

「謝らなくていいから、明日から……今からもっと笑ってくれないか。女王補佐官だからといって、澄まし顔で素っ気なくされるのはけっこう堪えるんだぜ?」

 補佐官としてのアンジェリークの態度を冗談めかして詰りながら、オスカーは片手を差し出した。
 
「また俺と、ここへ来てくれるだろう?」
「――はい、必ず」

 アンジェリークは少し躊躇って、自分の手を預けた。

 ためらいなくこの手を取れる日はもうすぐ来るだろう。
 あるべき場所へたどり着く。あなたの元へ。





 友人サイト「天使に降る雪」の、サイト10年目突入企画より、お題「あなた」「裏切り」「グリンピース」。
 グリンピースの花言葉は「必ずくる幸福」というらしい。
 これでお題をクリアというのはかなり卑怯だと思ってます。大丈夫です、自覚はあります。
 

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