+雪の果て+




 もしも浄土というものを描くなら。
 
 
 夕暮れの野原、先に相手に気づいたのはどちらだったのか。互いに歩を詰めると言葉を交わした。 

「こんにちは、泰衡さん」
「ご機嫌麗しく、白龍の神子殿。こちらへは散策にでも?」
「はい。私が退屈していたら、銀が気分転換に勧めてくれたんです」
 
 一歩後ろに控えている銀が軽く頭を下げた。
 それを目に留めてから外した視線が、彼女の抱えた花束に移る。
 雑草にしか見えぬ、小さな花ばかりの花束だ。
 
「確か、高館の庭にも花は咲いていたと思うが……」
「高館の花も綺麗ですけど、ここの草花は私の世界では見られないものばかりなんですよ」
「野の花――か」
 
 銀が自らをそう喩えたことを知る由もない。
 何かを含んでいるような泰衡の呟きに、望美は不思議そうな顔になる。
 その視線を避けるためではなかったが、泰衡は足元に咲く雑草――野の花を一輪摘んで差し出した。

「もうすぐ奥州の冬が始まる。今のうちに、お好きなだけ楽しまれると良いだろう」
「ありがとうございます、そうさせてもらいますね」
 
 差し出された花を受け取り、望美は笑って頷いた。

 間もなく奥州に冬が来る。全てを閉じ込め覆い尽くす雪は、この笑顔をも内に含むのだろうか。
 雪国にとって短い春はそれだけで浄土となりうる。
 飽き足らずにとこしえの浄土を願う御館が描く世界は、どのようなものなのだろう。
 果たして浄土とは人が生み出せるものなのだろうか。焦土と呼べるものであれば、いくらでも可能には違いないけれど。 




 雪が解けて春が訪れたとき、平泉には平和が戻っていた。
 十六夜の月が浮かぶ頃、泰衡は高館の近くにある野原に馬を駆った。
 
「こんばんは、泰衡さん」
「……ああ」

 先客は驚いた様子ではなかった。
 
 時どき、白龍の神子はこの先何が起こるか、未来を全て知っているのではないかと思うときがあった。
 今夜もそうだ。まるで待っていたかのように、静かに迎える。

「ここで会うのは二度目ですね。前はまだ秋でしたっけ」
「そして今は春、か。この平泉が無事に春を迎えられるのもあなたのおかげだ。……礼を言わねばと、思っていた」
「お礼なんて要らないです。私こそ御館と泰衡さんにはお世話になりましたから」
「近々、元の世界へ帰られるとか」
「明日です。だから泰衡さんにもご挨拶をしておきたくて……なんとなく、ここなら会えそうな気がしたから」
「そうか。俺もここで神子殿に会いそうな気がした」
「十六夜の月は……不思議ですね」
「そうだな」

 会いたかったのかと聞かれるとわからない。だが何故か、彼女が居ることを疑いはしなかった。
 あの秋の夕暮れにも、十六夜の月が姿を現していたのだから。 
 
「平泉の春は楽しんでいただけただろうか」
「はい。花も緑も豊かで、とても綺麗ですね」
「それは良かった。白龍の神子殿に言祝いでもらえれば、御館も喜ぶだろう」
「そんなことを言われると、春が終わるまで平泉にいたくなってしまいます」

 照れたように望美が笑う。

 今年は花と緑が豊かに――とりわけ野の花が美しく見える春だ。
 だが奥州の春は短い。彼女がもたらした春は、そのまま彼女と共に去るのだろう。
 そして浄土のような春はまた遠く、心は雪中に埋もれる。

「――以前、銀があなたを野の花に喩えたことがある」
「野の花?」
「ああ。野の花のごとく可憐で清らかだと。私の意見は違ったのだが……今はそう思う」
「あ、ありがとうございます。でもそれなら泰衡さんは何でしょうね。平泉の守護神なんてどうですか?」
「私はそのようなものではない。何かに喩えるとすれば……雪だろうな」
「雪、ですか」
「御館ほどの度量はないゆえ、圧するしかできぬ」

 雪のように。野辺の花を枯らす雪。緑を枯らし人を包囲する、忌まれしもの。
 野の花のように強く美しく、そして人の心を和ませるものとは正反対だ。
 彼女と反対の道でしか平泉を守る術を持たなかった自分は、所詮そういうものでしかない。 

 物思いに沈んだ泰衡を見て、望美は怪訝そうな顔をしている。
 雪という例えは彼女にどう伝わったのだろうか。彼女の思う雪と掛離れているのだろうか。

「神子殿、春の終わりと言わず、やはり明日戻られるがいい。九郎もここが平穏な間にあなたを送り出したいだろう」
「そうですね、今帰らないとずるずる延ばしてしまいそうですから」
「ああ。このまま残ればまた、あなたは利用されるだけだ」

 そして枯らされてしまうだろう。この泰衡という雪に。
 閉じ込められてしまうだろう。この平泉の地に。
 ただ、俺の望むまま、守れる保証もなく。
 
「ありがとうございます。心配してくれるんですね、泰衡さん」
「あなたの八葉ほどではないだろうがな」
「いいえ、嬉しいですよ」

 微笑んだ望美の髪に桜の花びらが舞い降りた。
 気づいた泰衡は払おうと思ったが、わずかに動いただけで手が止まる。

 不用意に触れてはならぬ気がした。
 自分が触れられようはずもない。この清浄なる存在に。

「――風が出てきたな。高館までお送りしよう」
「……月の下で見ると、花びらが雪みたいですね」
「これが?」
「淡雪に見えます。――それじゃ、泰衡さん」

 おやすみなさい、さようならと望美は別れの言葉を告げた。
 そこに明日の分も含まれているのかはわからない。 
    
「そのあたりに銀がいると思うから、心配しないで下さい」
「そう、だな。神子殿がこんな時間に一人で出てくるはずもなかったか」
「はい。みんな心配性なんです」 

 軽く会釈をして望美は背を向けた。
 それを見送ることもせず、泰衡も同じように背を向けた。

「淡雪、か」

 欠けゆく月の光を浴びた花びらは、彼女の目には淡雪に見えるらしい。
 同じ雪でも淡雪のような無力な存在など、忘れていた。
 だが野の花を押しつぶさない無力な雪にも、意味はあるのかもしれない。

「同じ雪でも、儚い淡雪ならば――――少しは神子殿のお気に留めていただけたのだろうか」

 雪に喩えた己を否定する言でありながら、どこか晴れやかな笑みで泰衡は呟いた。



 奥州と友を守るために捨てたものは数え切れない。
 この手に入ったもの、残ったものは簡単に数え上げられるほど少ない。
 そのことに対して、今までもこれからも後悔など覚えはしないだろう。
 あなたを捨てる側に配したことも、そうだ。
  
 もしあるとすれば唯一つ、この地にあなたが居ないこと。
 あなたの不在それだけで、ここは浄土から遠ざかってしまうのだから。 





 泰衡×望美はこんな感じが好きです。
 望美と出会ったことによって、自分の行動を振り返って苦しむ泰衡さんとか……(悪趣味)


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