+雪、来訪者約一名・後日談+




昨夜の来訪者はちゃんと帰り、冬の寒さを感じながら朝の目覚めを迎える筈だった。
だが、何となく重くて気だるい頭痛と、妙に明るく見える室内の様子が日頃と違う。
「風邪でも引いたか?」
頭痛に関してはそう判断したが、明るい室内がよく理解できなかった。
「――――まさか!」
しばらく寝台で考え込んでから、やっと寝過ごしたかもしれない、という結論に行き当たる。
微熱程度だろうが、しっかり熱はあるらしい。
常になく、頭がよく働かない。
そんな自分に悪態をつきながら、とにかく起きようとした。
部屋の明るさから言って、もう昼前だろう。
なぜ誰も起こしに来なかったのか、様子を見に来なかったのか。
「俺はいてもいなくても、どうでも良い人間とか?」
そんな悲しい考えさえ頭をよぎった。
不幸にして、この場にそれを否定してくれる人間はいない。
いっそ、このまま寝ててやろうかとも思ったが、さすがに無断欠勤のできる性分ではなかった。

起き上がってごそごそと夜具を片付け始めたところに、部屋の扉が開く。
「あ〜寒い」
そう言いながら入ってきたのは、主君の妹・孫尚香。
手には小さな鍋の乗った盆を持っている。
「あ、おはよう、りょもさん。熱はどう?」
卓の上にその盆を置きながら、彼女はにこにこと笑っている。
「熱は…そんなに高くないようだが。ってお前さん、何故ここにいる?」
彼女の存在を、自然に受けとめた自分に少し動揺しながら、呂蒙は問いかけた。
「雪が積もったからお土産持ってきたのよ。なのにりょもさんってば声をかけても起きないんだもの。変だと思ったら、熱があったのね」
それから、孫権に呂蒙は風邪だと伝えて、今日は休暇になったと報告した。
声をかけられた覚えなど全くない。余程深く眠っていたのだろうか。
熱とは言え、武人として情けない思いだ。
「それにしても、この部屋寒いわよ。こんなところじゃ風邪引いてもしかたないわ!」
妙に憤慨して彼女は言い、呂蒙を無理やり、元通りに寝台に寝かしつけた。
言われてみれば確かに、いつもよりこの部屋は寒い気がする。
「……………」
何となく部屋を見まわしていた呂蒙の目が、彼女が入ってきた扉を、次に窓を捕らえた。
正確に言えば、窓に入っている亀裂を、だが。
「……この部屋が寒いのは、お前さんのせいじゃないのか?」
「何であたしが?」
全くわかりません、とその表情は返答する。
いつもなら可愛いと思うその表情が、何となく今日は気に障った。
これも、熱のせいなのだろうか。
「昨日、その雨戸にヒビを入れたからだろう。おかげで隙間風が吹き込んで来たんだ!!この、寒い雪の日に」
普通なら彼女を怒鳴るなんてことは絶対にしない。その違いに、彼女も驚いたようだ。
「だって、あたしは……」
もごもごと言って、呂蒙から目を逸らす。
そして――――。
「あー!!」
視界に何かを捕らえて、大声で叫んだ。
二日酔いのような鈍い頭痛にその声は覿面に響き、呂蒙は思わず頭を抱えてしまう。
「……どうしたんだ」
こめかみを押さえながら尋ねる呂蒙に尚香は涙目で、鍋の他にもう一つ卓の上にあった盆を差し示した。
見ると、浅い盆の上には少量の赤い南天の実・笹の葉。
これでは何なのかわからない。
「お土産、溶けちゃったじゃない!!」
「はあ?」
「りょもさんが起きないから悪いのよ!」
いつのまにか、怒る人間が逆転している。
俺の風邪はお土産以下なのかと呂蒙が考えていると、ずいっと尚香が盆を突き出してきた。
「何だと思う、これ」
「……わからん」
素直に降参すると、尚香は厳かに正答を述べた。
「ゆき兎よ」
「ゆき兎って、あの?」
「あのかどのか知らないけど、雪で白くて、目が赤くて小さくて、可愛かったんだからね。せっかく作ってあげたのに、溶けちゃったじゃない!」
「す、すまん」
だから、何故こっちが謝る羽目になるんだろう。
徹底的に、自分は彼女に弱い。そう自覚して――だが、悪い気はしない。
「もう作ってあげないから」
ふいっと横を向いてしまった尚香が、ものすごく可愛いと思った。
そして、そう思うのは、熱が原因ではないと知っている。
「……二つも雪兎はいらんだろう」
「二つ?」
「雪兎は白くて目が赤くて可愛いんだろう?……ここに一つ、ある」
目の前に、動く雪兎がいるではないか。
少し涙目で赤くなった目は、まさしくそれにぴったりだ。
雪と違って溶けはしないし、そんな心配をしなくて良いのが、長所な兎。

「……熱、高いんじゃないの?」
言った本人と、言われた本人と。この場合はどちらがより恥ずかしかったのだろうか。
真っ赤な顔をして、尚香が呂蒙を睨む。
「かもしれんな」
そうでないと、こんなセリフは言えたものではない。
そうは見えないとしても、相手に負けず劣らず、呂蒙も動揺しているのだ。
「あ、ええと。お粥持ってきたけど、冷めちゃったね。温めなおしてくるわ」
尚香は慌しく鍋の乗った盆を―――鍋を素手で掴んで、熱いと声を上げる。
充分、粥は熱いと思う。
「……気をつけてな」
敢えて止めずに、呂蒙は部屋を出ていく彼女を見送った。
――また、彼女はいつものように遊びに来るのだろうか。
雨戸にヒビさえ入らなければ、それで良いから。
また、気が向いたときに来てくれないだろうか。


尚香が出ていった扉の向こうから、こんな声が聞こえてきた。
「あれ、陸遜。あなたもお見舞い?」
「はい。殿が呂蒙殿の容態を気になさっているので」
もしかして、さっきのを聞かれていたとか?
・・・・・・怖い、怖すぎる想像が頭を駆け巡る。
「私もお見舞いに雪兎を作ろうと思ったんですが、やめておきますね」
本気かどうかわからないが、陸遜がそう言っているのが聞こえた。
たぶん、思いっきりにこやかな笑顔を浮かべているのだろう。

受難の冬は、まだ終わっていないようだ。




ということで、私が勝手に書いた呂蒙×尚香の続編(?)でした。
このあと、呂蒙さんが陸遜に苛められるのは確実だろうと、サソリ屋様と意見が一致しています。
楽しかったですね、同志様v


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